こんにちは。
今日は休日ながら仕事に来ております。
さて,今日のニュースで驚くべきものがあったので,取り急ぎ取り上げてみました。
かつて阪神に在籍していた下柳剛投手が遂に引退をしてしまうというものです。
44歳の今日まで現役でやってきたことにはひたすら敬意を表するばかりですが,昨年の金本先生の引退などを相俟って本当に淋しい気持ちでいっぱいです。
かつて下柳さんは日ハム時代にはアイアンホークと呼ばれるくらいのタフネスさでやってきており,こんな調子でやっていては選手寿命が短くなるのか,それともよほど体が丈夫だから長くやるのかと思っていましたが,結果を見れば後者であり,その意味本当に立派であったと思いました。
特に,34歳で阪神に移籍してから楽天さんまでで84勝もしており,この点もはや体が丈夫だという言葉だけでは言い表せません。
34歳といえば,投手として峠を越え引退も考えると一般的に考えられるところですが,ここからこれだけ活躍できる人がどれだけいるでしょうか。その意味でも希有な能力の方だったと思います。
もちろん,投球回数を思い出すと,6回くらいまで投げてから後に回すという感じで,規定投球回数に達しない最多勝という珍現象も起こすくらい,投げられるイニングは短かったですが,それでも選手生命の長さを考えればそれすら生き残るすべであったのではと思わされます。
下柳さんといえば,あのスライダーがすぐに思い浮かびます。
全投球の中ではストレートよりもスライダーの方が多かったということを聞いたことがあり,その切れ味は素晴らしいものがありました。
ストレートは130キロ台ということで,速いほうではなかったのですが,スライダー,シュート,フォークなどをコントロールよく投げ分け,技術で打ち取る様はお手本のようなスタイルであったと思います。
また,性格は極めて恥ずかしがり屋,お立ち台に立つのを何度も拒むシーンを見ては,こういう奥ゆかしさも魅力の一つと思ったものでした。
ただ,その中でも,甲子園で金本先生,矢野さんと同級生トリオでお立ち台に上ったあの光景は忘れがたいものとなっております。
性格は恥ずかしがり屋でありながら,激高しやすい一面も持っており,見方のエラーには怒号を上げてキレていた光景もよく思い出します。
その後で冷静になった時に謝ったというのも彼らしいというところですが,それだけ勝負に徹していたということなのでしょう。
最後は,ドジャーズの入団テストを受けるところまで現役にこだわり続けていましたが,その結果も受け入れて自ら幕を引いたというのも彼らしい終わり方だったと思います。
そして,チャンスがあればいつでも投げられるように練習は続けるといっているところも,ここまで続けてきた彼を象徴するコメントであると思います。
また,人前では話せないとして,引退会見を予定していないというところも,最後の最後まで彼らしさを見せてくれたと思います。
惜しむらくは,彼がプロ入りの際に決めた3つの目標
1 1億円プレーヤーになる
2 コナミの野球ゲームに出る
3 日本シリーズで勝つ
というもののうち,1・2は叶ったものの,3は叶わなかったということです。
阪神時代,2度もその寸前まで行きましたし,リーグ優勝も惜しいところまで何度も行っただけに,極めて残念であると思いますが,それでも2つ叶っただけでも偉人であると思います。
とりあえず,今度時間があったら,久々に昔のパワプロを出して,先発下柳さん,レフト金本先生,キャッチャー矢野さん(できればサード今岡さん,ライト濱中さん)で読売を倒すべくプレーしてみたいと思いました。
また思いついたら書きます。ではでは。