こんばんは。
今日は,タイトルの通り,阪神久保田さんの引退について多少語ろうと思います。
私が久保田さんについて注目し始めたのは,阪神に入る前の常磐大学で投げていた時でした。
どうも阪神がとる予定のいい投手らしいという噂を聞きつけ,大学時代の彼を見に行ったのですが,他の人たちとは一線を画するかのような球威に驚かされたものです。
ただ,私が見ていた限り,球威はあるものの制球力はいまいちという様に思っていただけに,素材はよいものですからこれからプロに入って制球力が付けばとんでもないことになるだろうと思っていたものでした。
そして,阪神に入団し,頭角を現したのは,優勝した2003年,先発投手としてでした。
それは夏でしたが,死のロードで例年通り阪神の調子が落ちてきたなと思っていた時,先発投手として素晴らしい活躍をしたのをよく覚えています。
当時は後半戦に入って先発投手陣が不調で負けが続いていただけに,彼の台頭は救世主登場というように思っていました。
当時も制球はやや不安がありましたが,それでも球威とスタミナがあり,将来のエース候補として未来を感じていたものです。
ただし,その後故障をしてしまい,日本シリーズに出ること叶わず,彼が出ていたらと思ったものです。
その後は,抑え投手を経験してから,皆様ご存じの通り,JFKの一角として抑え,中継ぎを担当することになりました。
私は,久保田さんはよい投手だとは思っていましたが,制球面を考えれば,球威で長いイニングを押しまくるのはよいと思ったものの,短いイニングで結果を求めるのは彼の本来の持ち味を発揮できるのかと不安に思ったものです。
しかし,そんな私の愚かな不安など些末なものであったと示してくれる活躍をしてくれたことは皆様ご存じの通りだと思います。
JFKの中では最も隙があった投手かも知れませんし,それゆえに抑えから7回担当に回されたりということもありました。
しかし,それはあくまで藤川さんとウィリアムスさんが圧倒的すぎたという相対評価の問題であり,久保田さんの能力が低いとは全く思いません。
むしろ,JFKの一番手として登場して相手方の攻撃の流れを断ち切る役割をこなし続けたことは賞賛としかいいようがありません。
当時,JFKが出てきたらそれで試合が終了するという絶望感を相手方に負わせていましたが,それゆえに阪神は7回まで1点でもリードできればよしとし,相手方は7回までにリードを奪わなければ負けるというような考えを植え付けられていたと思います。
JFKの登場によって,阪神との野球は実質3分の2までの6回までに点を取るかどうかというものになっていたと思います。
それゆえに,下柳さんなどは5回か6回でマウンドを降りており,いつも早くマウンドを降りるものだと思っていたものです(もちろん,下柳さんも良い仕事をしてくれていたので,何ら非難をする趣旨ではありません。)。
ところが,久保田さんは,ベビーカーから落下しそうになった我が子を救うべく,右手を骨折してしまいました。
久保田さんの歯車が狂い始めたのは,今思えばこの時期だったのでしょう。
その後翌年は復活を遂げるも,今度は投げすぎがたたったのか,右肘を故障してしまい,最近では直球が130キロ程度しか出ないなど全盛期から著しく劣ってしまうこととなりました。
去年一軍マウンドに登板した時は,もはや全盛期の活躍は見る影もなく,打ち込まれている姿を目の当たりにし,本人も辛かったことと思います。
そして,今回の決断に至ったという次第です。
私は,大学時代から久保田さんを見てきただけに,今回の引退は非常に感慨深いものがあります。
そんな彼を振り返ると,私が久保田さんの活躍の中でもっとも心に残っているのは,JFK時代ではなく,まだ新人の頃に先発投手として活躍をしていた時期だったように思います。
彼が出てきた時,当時福原さんが持っていた球団最速記録を塗り替える156キロの直球を投げ,そしてチームがあまり調子のよくない中で新人が先発投手として勝利したという様は非常に爽快であったと思います。
それが私などの想像を超えてどんどんメジャーな存在になっていく過程は,ある意味楽しみでもあり,ある意味心配もあって見ていました。
そんな彼が33歳の若さで引退を決意したというのは悲しいことだと思いますが,かといって彼自身もこの5,6年はずっと辛い思いをしてきたでしょうし,もう解放されてもいいのかなというようにも思います。
彼のトルネード投法からのストレート,スライダー,フォークを見ることができないのは寂しいとは思いますが,今はゆっくり休んで第2の人生をまた頑張ってもらいたいと願います。
本当にお疲れ様でした。
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