こんばんは。
今日のニュースを見ていたら,名古屋のある真言宗のお寺の通夜の件が目に入りました。
それは,昨年ハローワークで募った見習に一人で死者を弔わせたというものです。
見習の中には「分からない作法は省略した」と話す者もいるそうで,遺族はだまされたと怒っているそうです。
寺の方では,僧籍がないのに任せたことについて,「修行の一環で問題ない」と反論しているそうです。
真言宗で僧侶になるためには総本山である金剛峯寺に僧籍が登録されていなければならず,それまでは見習で,約3年間修行し,住職から適正が認められる必要があるということです。
まず,私は,ハローワークで募集した等という点についてはあまり重視はしません。
というのは,仏門を叩く入り口がハローワークであったとしても,きちんと自身で修行を重ね,まっとうな仕事ができるのであれば,入り口を批判する必要はないからです。
私はこういうしきたりについては色々と勉強不足なので,今回の件で寺が説明する「修行の一環」というものが妥当なのかどうなのかはよく分かりませんし,この点については言及できません。
ただ,寺が檀家に不信感を持たせてしまったことは問題であったかもしれないと思います。
私は,僧籍の有無というところに関してはよく分からないのですが,親族の死を目の前にして,自分の親族を特別に弔ってもらいたいと考えている最中,僧籍のある方とない方のいずれかに弔いをしてもらうのであれば僧籍のある方がよいと考えるのはある意味あるべき考えなのだと思います。
ただ,仮に僧籍がない方が弔いをすることに問題がなかったとしても,「分からない作法は省略した」というのは頂けないと思います。
肩書きがないにしても,やるべきことをやればこそ納得をしてもらえるのかもしれませんし,そこを緩く線引きをしてしまうのは納得が得づらいのかもしれないと思います。
この点については,具体的にどういう状況なのか,記事を読んだだけでは省略された作法の重要性なども分からず,一概に良い悪いとも言い難いところです。
ただ,寺を檀家の付き合いは今後も続いていくでしょうし,故人の冥福のためにも,そういったわだかまりがなくなっていけばいいなと思います。
今日のスポーツ新聞で,阪神の新外国人コンラッドさんに関して,「低め変化球の見極めOK]という記事を見ました。
正直,新外国人に対してこういういたずらにもてはやす記事が出てくると,過去のトラウマがよみがえり,なんだか心がモヤモヤします。
以前阪神にメンチさんという方がおり,キャンプ中大変その活躍を期待されるような記事が多く掲載されておりました。
思い出せるだけでも
「バッファロー走法」
「メンチ豪弾」
「乱闘任せろ」
「変化球もいける」
「6番ライト一発合格」
「死角無し」
「走る凶器」
などと過剰なまでの期待を煽る記事が乱舞しており,特に巨人の007が警戒というと別の意味で警戒してしまうのです。
同様の煽りはマートンさんの時にも見られましたが,マートンさんは期待以上の成果を上げてくれたので,その記事の信用性を真っ向から否定するつもりはありません。
ですが,暗黒時代からのトラウマを抱える私のようなものは,どんなにポジティブな情報があっても,それが過剰にあればあるほど不安になるという防御反応が自動的に出てしまうのです。
私も阪神ファンとして訓練されている自負はありますから,新外国人への期待が絶望に変わったとしても阪神を追い続けてはいけるのですが,それでも絶望というのはなかなか慣れません。
まあ,こういう感触を味わえるのも,野球シーズンがやってくる足音のようなものと理解したいと思います。
また思いついたら書きます。ではでは。