こんばんは。
今日のニュースを見ていたら,埼玉県立近代美術館が作品2点を26年前に紛失していたものの,それを放置していたというものがありました。
美術館は12月26日に収蔵品2品を紛失したと発表しました。
紛失したのは故平塚運一氏の作品2点,1986年8月に同氏から寄贈されたものということで,評価額は合計14万円相当ということです。
87年夏,当時の学芸部長と普及課長(いずれも故人)が事業報告書を作成する際,作品がないことに気づいたということでした。
当時の職員らによると,2人は「86年冬に大掃除をした際に一緒に捨てたかもしれないが,そのうち出てくるだろう」などと話して,上司の副館長にも報告しなかったということでした。
その後,企画課長や担当学芸員ら計10人に行方不明として引き継がれたそうですが,探索はしなかったということでした。
そして,今年7月に美術館の大規模改修工事を控えて前修三作品を点検した際,2点の所在不明が発覚し,館長が歴代学芸員ら24人を聞き取り調査し,紛失と結論づけたということでした。
掃除の時に捨てたと思ったのであれば,初めの2人ともそのうち出てくるなどとは思っていなかったのでしょう。
そして,そのような隠蔽をこれまで26年引き継いできていたわけで,もはや誰もそのうち出てくるなどと考えている者はいなかったことでしょう。
これらの大人数の人が関連していたにもかかわらず公にしなかったのは,すなわち自分が責任をとりたくないという責任逃れでしょう。
確かに自分がなくしたものでないものを公にして責任を追及されるのは大変だったかもしれません。
引き継いだばかりの人にしてみればそこまで大きな責任を問われることはないでしょうが,その人が公にすればそれまでの歴代の人たちが追求されることになるように思われますし,新しく引き継ぎを受けた人も言えなかったのでしょう。
また,26年も発覚しなかったのだから,それ以降も発覚しない可能性が高いと踏んでいたのかもしれません。
ですが,私としては,それらの責任意識を踏まえても,これに携わった人たちはみなプロ意識や作品を大事にしようという意識が欠けていたのだと思います。
心情的な言葉をここでいうことが適切かどうかは問題ですが,私は学芸員としての誇りを持って仕事をしていなかったからこそ,その所在を探そうともしなかったのでしょう。
それ以外の仕事をどのくらいきちんとしていたのか分からないので,この一事のみをもってその方々の仕事ぶりの全てを否定するのはよくないと思うのですが,それでもこの一件は学芸員としての資質に疑義を抱かせるには十分だと思います。
このような案件が生じると,寄贈された方にしてみれば大変残念に思うでしょうし,名のある作品の寄贈を検討していた方々もこの美術館への寄贈は躊躇われることでしょう。
この考えを払拭するには,美術館側において,これらの所業をされた方々に対してしかるべき処分を下すことでしょう。
かなりの方が退職してしまったように思われ,現役の方との不均衡も問題になるとは思いますが,それでも美術館に対する信用を傷つけてしまった以上はやむを得ないことだと思いました。
また思いついたら書きます。ではでは。