こんばんは。
今日の夕方のニュースを見ていたら,大豊さんがお亡くなりになったという非常に残念なものを見たので,取り上げてみました。
大豊さんは,最近は白血病との闘病生活を送っていらっしゃったと聞いてはおりましたが,まだ51歳で早すぎる死であったと思います。
最近見た写真などではずいぶんお痩せになっていて,あの全盛期の太い腕がなぜここまで細くなってしまったのだろうと悲しく思っていました。
あの詰まってもスタンドに運べる腕がこんなになってしまってと思っていましたが,まさかここまで悪かったとは思いませんでした。
大豊さんといえば,中日さんと阪神に在籍されておりましたが,私は阪神が好きであったため阪神の思い出ばかりがあります。
阪神暗黒時代の中,数少ない光であった関川さんと久慈さんを放出してやってきたということで,当時はこのトレードはどうなのだろうと疑問に思ったものでした。
しかし,大豊さんは阪神の4番にも座るなど,私の思い出にはずいぶん残っております。
一緒にトレードでやってきた矢野さんと相俟って,阪神の看板になってくれました。
中日さんにおいて関川さんと久慈さんも中心選手になっていきましたし,このトレードは色々と思い出深いものとなっております。
大豊さんは,暗黒時代の阪神の中,現監督の和田さんと並んでよく活躍してくれた数少ない人の一人で,中日時代にホームラン王,打点王をとるなど実績があった以上,何とか打ってくれまいかとよく期待していたものです。
特に,王さんを真似して行っていた一本足打法は,途中で当時の野村監督に変えるようにいわれてしまったものの,やはりかつてのホームラン量産への期待を思わせずにはいられなかったと思います。
未だ鮮明に記憶に残っているのは,大豊さんが打ったホームランや連続試合安打記録ではなく,実は大豊さんの三塁打です。
個人的には,大豊さんはあまり足の速い方ではないというように記憶しておりますが,そんな大豊さんが三塁打を打った時が阪神時代2回だけありました。
その翌日のスポーツ新聞は,一面で「大豊激走」という文字が躍っており,やはり世間的にも大豊さんが走って勝ち取った三塁打というものがどれだけインパクトが強かったのだろうかと思い知らされるものでした。
そのように,滅多に出ない三塁打のイメージが思い浮かぶのは,あの時の息を切らしながら汗だくであった大豊さんの一生懸命なところが印象に残ったからでしょう。
確か岐阜の方にお店を持っていたという話だったと思いますが,そちらは今後どうなるのかなど心配は尽きませんが,ひとまず大豊さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
また,在りし日の大豊さんを振り返り,活躍をもう一度思い出したいと思います。
合掌
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