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2012.04.26 Thursday
 こんばんは。

 今日注目されていた小沢さんの陸山会の事件の件で無罪判決が下されました。
 判決が確定しているものではないので,その妥当性等については言及しませんが,この件を含めて最近では検察審査会経由の事件の無罪判決が続くということになりました。

 中には検察審査会の起訴相当判断に問題があったのではないかという意見も見受けられますが,私としては検察審査会制度が現状のものである以上はこの判断自体に問題はなかったと思います。
 というのは,検察審査会は裁判員と同じように一般市民から選ばれますが,一般市民にしてみれば「有罪か無罪か判断困難」と思われるものについては,あとは裁判手続において裁判所が判断すればいいのではないかと考えるのも間違ってはいないと思うからです。
 このような発想は,検察組織はまずしないでしょう。検察にしてみれば,有罪判決となる相当な自信がなければ起訴を控えるという傾向にあるからです。
 その考え方の違いゆえに,検察は本件の起訴を見送り,一般市民目線からは起訴相当の判断となったという違いが出たのではないかと想像します。

 とはいえ,日本では「起訴=犯罪者」という認識が強く,そのために検察審査会が起訴相当と判断したことによって人の人生を狂わせてしまうという効果があることは否定できません。
 また,小沢さんは,結果的に一審は無罪となりましたが,そのために自身で弁護士を雇って徹底抗戦しました。ところが,これは守りのための戦いであり,これによって得られる経済的利益はなく,単に小沢さんは防御のためにお金と労力をを失うばかりでした。ゲームでは,盾や鎧を買ったお金は戦闘終了後に得られる報酬から補填されることが多いですが,刑事裁判は一方的に守るばかりで無罪になっても誰もお金をくれず,この勝負はなかなかつらいものがあります(なお,身柄拘束をされていた方が無罪判決を得た場合は別です。)。
 もちろん,無罪判決を得ることによって,裁判所という第三者のお墨付きの下に名誉を回復できるとすれば,それは金銭以上の価値を得られるかもしれません。しかし,一度付いたイメージの払拭も困難でしょうし,その名誉回復のために有罪無罪の危ない橋を渡るというのは,どう考えても釣り合いがとれないのではないでしょうか。

 問題の発端は,検察のみが起訴をする権利を独占している現在の制度,そしてこれと民意とのバランスをはかろうとして設立された現在の検察審査会制度だと思いますが,私自身どのような制度がよいだろうかという青写真を描けていないので,無責任に現状を批判するつもりはありません。
 ただ,民意の他に,刑事裁判というものにかけられることの重さともバランスがとれるような制度ができた方が良いのではと思いました。

 阪神は,昨日は久々に打つ方が気張って勝利を収めました。
 今日は,今のところバリントンさんを打ちあぐねているようですが,さすがにホームゲームで負け越しは許されません。
 マエケンさんはやむを得ないとしても,今日は何とか攻略してもらいたいと思います。

 また思いついたら書きます。ではでは。
三枝康裕 | ニュース | comments(0)  | trackbacks(0) | 19:18

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