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 こんばんは。


 今日のニュースを見ていたら,日本高野連が,新潟高野連に対して,球数制限を設けることに再考を求めたというものがあったので,取り上げてみました。

 新潟高野連は,昨年,県青少年野球団体協議会のサミットにおいて,19年春の県大会から,1投手が1試合に投げられる球数を100球までに制限すると表明しました。
 これについて,日本高野連では,賛意を示す意見もあったものの,大多数の学校において多くの投手を揃えられる強豪校との差を助長する可能性が高いなどとして,全国で足並みを揃えて検討すべきという意見で統一されたということでした。

 この問題は非常に難しいものです。

 野球を実際にやる人達の健康を考えれば,球数制限をなすべきでしょう。
 毎年,圧倒的な球数,しかもそれを連投ということが美談のように報道されていますが,それは明らかにオーバーワークであり,プロでは決して避けるべき状況であると思います。
 これで実際に体を壊した人も多くいると思われますが,マウンドに立つ当の本人はおそらく球数制限ではなく最後まで投げたいと思うことでしょう。
 ですが,高校野球は人生の序盤の出来事であり,この時が全てと思うこと自体が実は間違っていると後になって気づくというものだと思います。
 そういう意味では,本人の判断に任せることは無責任であり,球数制限を設けることは,青少年の心身の健全な育成という高校スポーツの本分に立ち帰れば当然のことでしょう。

 一方で,高校野球は,優れた投手の存在によって勝ち進めてしまうという要素もあります。
 もちろん野球は全員でのプレーが重要でありますが,こと投手が優れていれば,その投手が立ちはだかる限り点が取れずに勝ててしまうこともままあります。
 打者で優れた選手も重要ですが,打者1人が優れていても敬遠されてしまえば終わってしまうわけで,そういった意味では優れた投手がいるということはチームが勝てる大きな要因であることは疑いがないと思います。

 ところが,優れた投手はこの世にたくさんいるわけではなく,有力校ですらその確保はなかなか大変な状況です。
 にもかかわらず,球数制限を設けてしまえば,打者によっては,カットし続けて球数を増やさせて投手交代をさせてしまうことで,相手チームの弱体化を図ろうという作戦は当然出てくるでしょう。
 そういった意味では,球数制限はゲームの純粋なおもしろさを奪うことにつながるようにも思いますし,出場した選手達にとって釈然としない気持ちを抱かせる要因にもなりそうです。

 ですから,球数制限を賛成できる高校があるとすれば,将来にわたってそれなりに投手を確保できる自信のある学校ということになると思われ,そうなると事実上どの学校もみな不安に思うのではないかと思います。

 高校野球は,本来ただの部活動のはずなのですが,それが一大エンターテイメントとなり,学校の広報の主要な要素の一つとなりました。
 それゆえに,勝ち進むことは,生徒の自己実現の問題を超えて,学校の利益などの問題も絡むようになってきて,より難しい局面が多いと思います。
 利益の問題を前面に考えるのであれば,球数制限は賛成すべきなのかも知れませんが,生徒達に心ゆくまで試合をしてほしいという考えに基づくならば制限はしない方がいいということになるのでしょう。

 この点,新潟は,自分自身がこの制度を導入することで,データをとる対象となり,議論をより深めたいと考えているようです。
 一方で,新潟がこの制度を導入するとなれば,新潟の高校生は他県に比べてリスクを負うことになるかも知れず,不平等ではないかという考えもあることでしょう。

 個人的には,人生の序盤で大きな怪我を負うことのリスクを回避するための制度は導入すべきと思いますが,この導入によっていわゆる伝統校以外が夢を掴むことが極めて難しくなると思うと,何とも言い難いところです。
 そう考えると,球数制限を導入するのではなく,試合間隔を相当程度空けるという方向で考えればよいと昔から思っていました。
 この方法の場合,最大の問題は試合場の確保,特に甲子園球場の確保でしょうか。
 甲子園球場はプロ野球でも使用されますから,そことの兼ね合いが球場を押さえるお金との関係でも問題になるのでしょう。
 そうであれば,甲子園大会の時期をずらせばいいと思うのですが,そうなると夏の風物詩が消えるという話も出てくるのでしょう。
 私は,夏の風物詩は大事だとは思うものの,灼熱の甲子園で朝から野球させるくらいであれば,初夏から秋の終わりまでにかけて順繰りに試合を行っていけばいいのではと思っています。
 試合間隔を置くことである程度解決できる問題だと思うのですが,これが議題にあまり挙がらないのは予算の関係が大きいのでしょうか。
 今の日本高野連の話では,結局新潟に再考を求めたところで止まっていて,健康問題は解決の抜本的な方策までは及んでいないように思われるので,その点も含めて改めて検討してもらいたい問題だと思います。


 阪神の矢野監督ですが,新外国人のマルテさんについて,6番くらいを打つ打線になるのが理想という構想を語ったということでした。
 その上で,大山さんには4番打者として成長してほしいとも語りました。

 個人的にもそのような点は非常に理想的だと思います。
 大山さんは,素材としては将来の4番打者になりうると思いますし,育成するためにはある程度我慢してでも4番に末続けるということは重要だと思います。
 また,マルテさんについては,6番くらいでプレッシャーをかけずに自由に打たせた方がそれなりに長打を期待できるのではという考えも根底にあるように思いました。

 ただ,この矢野監督のコメントの裏には,去年のロサリオさんのことが頭にあるように思いました。
 去年の打線に関するチーム構想は,ロサリオさんが主砲として活躍することを前提に,4番打者として軸を定め,他の選手をどのように配置するかということを考えていたと思います。
 しかし,その軸が誤算に終わってしまったわけで,やはり外国人選手は日本に対応できるかどうかは未知数というべきでしょう。
 そのような未知数な要素を軸に据えるチーム構成はいかにも不安と考えるのは当然ということで,特に去年の苦い経験を思えば現時点でマルテさん4番というのはなかなか語れないと思います。
 そういった点や将来のチーム構想を踏まえて,大山さん4番,マルテさん6番という構想を現時点で描くのはおおよそ誤りではないと思われます。

 そうなると,大山さんの出来がどのような具合なのかが気になりますが,まだ現時点では語るべきではないでしょう。
 今の段階では怪我がなく調整を順調に行っていればそれでよしと考えるべきかと思っています。


 また思いついたら書きます。ではでは。


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三枝康裕 | スポーツ関連 | comments(0)  | trackbacks(0) | 23:14

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