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 こんばんは。

 今日のニュースを見ていたら,検察審査会において,東京電力の旧経営陣のうち3人について起訴すべきという議決をしたというものがあったので取り上げてみました。

 旧経営陣については告訴がなされておりましたが,昨年9月に不起訴となっており,検察審査会に旧経営陣中6人について審査の申し立てがなされておりました。
 そして,勝俣元会長ら3人について起訴すべきとの議決がなされました。他3人については,1人は不起訴不当,2人は不起訴は妥当という議決となりました。
 これを受けて,検察においては再捜査をしなければならないこととなります。
 なお,菅元総理大臣ら当時の政府の責任者も告発され不起訴となりましたが,既に検察審査会において不起訴は妥当であるとの議決がなされております。

 本件については,妥当と言えるか不明な処理が未だ繰り返され,今日も意味があるのか分からない1日15トンもの氷の投入がなされるという記事を見ましたが,この事件に関する責任は誰も取っていません。
 これだけの未曾有の大災害を引き起こし,かつ未だ解決に至っていないにもかかわらず,誰も責任を取っていないという事態は異常だと思いますし,感情的にも納得しづらいものがあります。
 ただ,事故から随分期間が経過し,人の気持ちも,この事故をどう捉えるかではなく自分が如何に先に進むかが大事であって,事故の責任追及どころではないというような雰囲気に世間がなっているような気がしなくもありません。

 私としては,この事故の責任については誰かに取ってもらわねばならないだろうとは思っています。
 それは,感情面もそうなのですが,それよりも次に同様の大災害があった時のためです。
 今回のように責任の所在がうやむやにできてしまうのであれば,次に同様のことがあったとしても逃げ切れるというように考え,無責任な対応を取られてしまうのではないかという懸念があるからです。
 特に,今原発の再稼働をしようという方向で進んでいるのに,誰が責任を取るのかを明確にせず,現実の必要性であったり再稼働をすることにより受けられる利益の享受についてであったりばかりが述べられているのは違和感を感じずはいられません。
 その意味では,国民の原発再稼働に対する信頼を醸成させるためにも,いざ再稼働後に事故になればこのように責任を問われることになるということを明確にすべきであろうと思いますし,そのためには今回誰がどのような責任を取るのかという先例を作るべきであると考えます。

 そして,今回の検察審査会の件ですが,問題はこの後だろうと思います。
 すなわち,告訴を受理した検察が捜査をした上で不起訴とした案件である以上,責任を追及できるだけの事情や公判を維持するための証拠が不足している可能性があるように思います。
 検察審査会は市民の目から判断したものであり,もちろん事情や証拠についても十分に検討されたのだと思いますが,プロである検察が起訴できなかった案件を再捜査したとして果たして有罪とできるかどうかは何ともいいがたいものがあると思います。
 過去に検察審査会の起訴相当の議決の下強制起訴された案件はありましたが,多くの案件が無罪となっております。
 それは,やはり刑事裁判のプロである検察が有罪とすることを困難と見立てたものが正しかったということでしょうし,強制起訴案件はなかなか有罪まで行き着くのが難しいということだと思います。

 私は証拠関係等を詳細に知らないので,検察と検察審査会の判断のどちらが妥当なのかはよく分かりません。
 ただ,2006年当時の安倍首相の参議院の質疑応答において,安倍首相は,「原発の冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオをどうするのか」,「冷却に失敗して燃料棒が焼損した場合を想定しているのか」,「原子炉が破壊されて放射性物質が拡散した場合の被害予測」などの質問について,いずれも「そうならないように万全の体制を整えている」とのみ発言しており,仮に未曾有の津波であったとしてもシミュレーションが甘かったことは否めなかったと思います。
 そして,あれだけの人数がいるのに甘いシミュレーションへの対策を講じなかったのですから,今回の旧経営陣かどうかは別として誰かが責任を取ってもらわないと感情面では納得いきづらくもあります。
 とはいえ,その責任の形が刑事責任という形が妥当なのかは分かりません。ですが,明確にわかりやすい責任の一つが刑事責任だと思うので,その所在に関する今後の検察の捜査については注目したいと思います。

 また思いついたら書きます。ではでは。
三枝康裕 | ニュース | comments(0)  | trackbacks(0) | 23:02
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